南海トラフ地震の死者29.8万人

僕の生まれ故郷の和歌山県有田郡湯浅町は、南海トラフ地震で津波の災害に何度もあっている。街中にある深専寺では津波がここまで来たという石碑があり、JR湯浅駅、紀勢本線線路の海側はすべて津波浸水地区に指定されている。 これまで ・・・
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僕の生まれ故郷の和歌山県有田郡湯浅町は、南海トラフ地震で津波の災害に何度もあっている。街中にある深専寺では津波がここまで来たという石碑があり、JR湯浅駅、紀勢本線線路の海側はすべて津波浸水地区に指定されている。 これまで ・・・
↓つづきを読む昭和の時代、女性社員はお茶くみや案内、電話の応対や印刷など雑用係だった。20前後の若い女性がほとんどで、社内恋愛で結婚すれば寿退職が常識だった。30歳近くまで働いている女性をお局様と言ったりして、退職を暗に勧める風潮があ ・・・
↓つづきを読む日本は縄文時代(16000年前~3000年前)から海外との交流が盛んだったらしい。当時の日本海は今より狭く浅い。充分、丸木船で航海できる距離だっただろうし、北海道からなら地続きで行ける時代もあったらしい。黒 ・・・
↓つづきを読む僕の父親は戦争中、中学生だったので軍事教練を受けていたが徴兵されていないので戦地に行っていない。大日本帝国は鬼畜米英に負けるはずがないと思って育っているし、自分も戦地に行って一旗揚げたいと思っている子供だっ ・・・
↓つづきを読む「生きて虜囚の辱めを受けず」第二次世界大戦で東条英機の戦陣訓に書かれた言葉。これは兵士に向かって書いたが、戦争では戦う弾薬や武器がなければ降伏することが良しとされていた。いわゆる無駄死には避け、捕虜となっても解放されれば ・・・
↓つづきを読む太平洋戦争で敗北した日本は、軍備を持つことを嫌った。何しろ、日本帝国の軍隊ではげんこつなど暴力的な指導が蔓延していたので、多くは嫌っていた。愛国心を叩き込まれ、徴兵され軍事教練で鍛えられ、戦地に行くとそこは ・・・
↓つづきを読むあらゆる生き物の中でお互いに殺しあえるのは人類だけだ。人類は、生きるためにお互いに殺し合いをしてきた。縄張りを守るため、食料を確保するため、資源を確保するため、相手が憎いから、相手が受け入れないから、ただ何 ・・・
↓つづきを読む昭和20年代、和歌山駅に行くと、戦争傷病兵の方が痛々しいお姿で募金を集めていた。まだ、戦争の爪痕は残っていたが朝鮮戦争の特需で日本は豊かになっていく。市電に乗って商店街に行けば、買い物客でごった返していた。 ・・・
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