我慢するにもほどがある
「~にもほどがある」とは、限度を超えているという意味で、これ以上我慢する必要はないという意味になる。学校や職場の人間関係、過度な要求をされる仕事量など我慢の限界を超えてもなお耐えていると、心が壊れてしまう。
そうなるまえに、自分にできる限界を超えていると主張し、改善がなければ逃げ出したり訴訟したり何かしらの手段に訴えて心が折れないようにしなければならない。どうして、そこまで我慢する必要があるのかと訴えている心の声に従うことが大切。
仕事がなくなるのではないか?職場の上司にまた怒鳴られるのではないか?業者から無視されるのではないか?同僚から甘えだと指摘されるのではないか?など、いろいろマイナスの面をとらえておびえる必要はない。
僕は、我慢の限界を超える前に、自分の思いを相手に伝えるようにしているし、相手がそれで変わるとは思っていなくて、その場から離れるようにしている。他人を変えるのは不可能に近いが、自分を変えるのはいとも簡単なのだから。
仕事を変えるために資格を取ったり、スキルを身につけるために学習したり経験したり、他の業者に依頼してみたり…。今の自分を少し高めるのは、より良い条件の転職に備えるため。売り手の自分を良く見せなければ買い手の企業は受け入れてくれないから。
社会人になってから、漁師の方に魚のことを教えてもらい、税務署に行って税務の事を教えてもらい、商工会に行って帳簿のことを教えていただき、ドレメ学院に行って洋裁を学び、リコーの方からパソコンの事を教えていただいた。