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車の中で暮らしていた20代

 

20代の僕は、東京のアパレルメーカーの在庫処理品を箱買いして東海道各地の洋品店に卸をしながら稼いでいた。魚の行商からパンストや下着の行商をして洋服の行商を始めたが、仕入れ値が高く販売しても売れ残りが少しでも出れば儲からなない。そこで知恵を出して儲ける方法はないかと考えた。

 

そこで、いつも仕入れていたアパレルメーカーの社長にお願いして、売れ残りを一括借り上げして、当月以内に支払いを済ませる契約にして商品をすべてお借りするようにした。2万円ほどのスカートでも2千円程度で仕入れるので、5千円で卸してもかなりの儲けが出る。お店は半額で売っても儲かる。

 

ただ、サイズ切れや色切れがあり、品ぞろえはキチンとできない。いわゆる売れ残りだが、古着屋がない時代、ファッションセンスは東京が優れているが、地方ではかなり遅れていたので地方のブティックでは喜んで仕入れてくれた。借金の返済に追われていたので宿泊はワンボックスの車中泊だった。

 

飛び込み営業で地方都市の洋品店に伺い、ワンボックスに積み込んでいる洋服を販売する。夜になると、高速道路の高架橋下に車を止めて洋服の下に布団を敷いて寝た。早朝、起きてパンと牛乳を買って朝食にした。大阪信濃橋の高架橋下はよく寝ていた懐かしい場所。借金返済に追われていたからこそできたことだった。

 

大企業に就職した学生時代の友達が月収15万円もない時代に、僕は毎月100万円から200万円を稼いでいた。それでも返済に追われて貧乏暮らしで生活は苦しかった。そんな僕に学生時代の友達は近寄ることなどなかった。あいつは、もうダメだろうと思っていたと還暦を過ぎてから教えてくれた。

 

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