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昭和、日本企業の海外進出は失敗に終わった

 

戦後の日本企業が高度成長時代を経て世界第2位の経済大国になるにつれ、貿易の不均衡が叫ばれ黒字解消のため国内の企業が海外進出していく。欧米への赴任は出世コースだったが、それ以外の赴任は出世コースから外れた意味合いをも少し含んでいた。

 

現地で会社設立の手続き、法令関連の確認、工場の建設、労働者の採用、現地採用者の訓練、安い人件費を当てにしてのことだが、現地にすれば厚遇なのでいくらでも人が集まってくる。ぎゅうぎゅう詰めの社宅で暮らしながらの労働が始まる。

 

日本人は日本人の働き方しかできない。当時の日本人は敗戦から立ち上がるために、必死になって働くことが美徳とされた時代。それを現地の人にも教えたが、これが理解されない。家族のことなど無視して深夜、早朝まで働くことへの抵抗がある。

 

また、現地の人がどんなに働いて能力が高く、現地の日本人より仕事ができても出世することはなく、現地の人は工場労働者のままで日本人の管理職の厳しい管理の下に置かれていた。日本人より安い人件費もわかるようになるとさらに反発は高まる。

 

日本以外の海外の工場で働く人との比較で、自分たちはかなり冷遇されていると分かったころから日本の工場で日本式の働き方に疑問を感じていた人たちはストライキをしたり、離職したり、独立するようになる。海外の政府も海外資本に注意するようになる。

 

日本人は日本人の会社であれば、日本人が経営し管理職は日本人がなるのが当然だとする風潮があり、そこに現地の人が入ることを排斥する動きがあった。外人が日本企業の管理職や役員になることなど考えもしない時代があった。

 

人の才能や努力を正当に評価しなかった日本企業はこうして業績が悪化していき海外から撤退するようになる。日本企業は衰退していき、外資が日本企業を買収するまでになる。バカにしていた隣国の企業が日本で活躍する時代になろうとは思いもしなかっただろう。

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