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悲観の中に夢がある

 

就職したものの仕事は使い走り程度の市場調査。毎日、決められた場所に行き、決められた商品の価格を調べてくるだけ。単純な作業につまらなさを感じていた時、このデータにそれほど価値があるならネットで誰もが見られるようにすればと思いついて起業して大企業にする。

 

リストラされたサラリーマンが、夜の公園で悲観にくれて落ち込みながらボーっと見上げるとホテルの窓に明かりがついている。明かりがついていない部屋もあり、意外と空室が多いことに気が付く。ホテルの宿泊予約を誰もがネットでできればと思いついて起業して大企業にする。

 

悲観にくれたとき、人は成長するかどうかの瀬戸際に立っている。そのまま悲観にくれて愚痴っぽくなるのか、それともここで何かを見つけ挑戦するのかでその後の人生が変わってくる。金なし、知恵なし、人脈なし、それでもビジネスのヒントを得たら無謀とも思える挑戦をしている。

 

例を挙げた二人にITの知識がなかった。必死になって勉強して自分でサイトを作り上げた人、アイデアを説明してサイトを外注して自分は営業に徹した人、それぞれだが大企業にまで成長させている。ふたりに共通しているのは、決してあきらめずにビジネスとして成り立つまでやり抜いたこと。

 

僕も映像授業による講義を始めた20数年前のときは多くの人からダメだ、できない、無駄だと言われた。教師ばかりでなく行政の役人も政治家も否定的だった。それが今ではオンライン学習を推進している。決してあきらめることなくやり抜けば道は開けるものだと思う。

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