如何なる時にも生き抜くこと
20代の頃、僕は借金の返済が滞り銀行から毎朝、矢のような催促の電話があった。返済の繰り延べの相談に行くと朝9時から夕方3時まで椅子に座り、待たされて、銀行のシャッターが降りてから、応接室に呼ばれて、ひどいお叱りを受けたこともある。苛めだなと感じるとともに、お金のプロでもこんなことしかできないのかと馬鹿らしくなって笑い出したことがある。
返済できない文無しに返済を迫る銀行員に「おかしな話ですね。僕は魚を売り歩いているので、行員の皆さんが返済分を買ってくだされば、それで済む話ではないですか!」と言い返して、行員を驚かせた。その後、実際に行員の皆さんが魚を買ってくださるようになった。お金のために死ぬのはもったいないと思っていたので、断られても死ぬ気はなかった。
借り入れの返済ができない、赤字の会社を立て直すことができないと悩んでいる企業経営者の方は多い。彼らから相談を受けると、いつも僕はこのときの体験談をお話しして、返済できないものはできないし、お金と命を引き換えにしてはならないと強く言うようにしている。親から頂いた命と身体は大切にして、如何なる両親でも生んでくれたことに感謝して生きるべきだ。
企業経営者は、大恥をかくこともあるし、愚痴や不満を一身に背負うこともある。罵倒されることもあれば、憎しみの対象にされることもある。山の頂上に立っているのと同じことで、四方八方から雨風に晒される。それでも、柳のようにしなりながら耐え抜くことが求められる。倒産すれば従業員やお客様から非難されるだけでなく、家族や親族からも冷たい視線を浴びるようになる。
それでも、生きろと僕は企業経営者にはアドバイスする。どんな恥でも苦痛でも生きてさえいれば、いつかはチャンスが巡ってくる。借金を踏み倒してでも生きろ、罵倒されても、馬鹿と云われても、恥さらしと言われても生きろと言っている。それでも、弱い自分に耐えきれず、申し訳ありませんと思いながら黙って自ら命を絶つ企業経営者の方がいるのは残念で仕方がない。