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讃えよ耐久 我らが母校

 

保育所から大学までの学生生活で一番印象に残っているのが和歌山県立耐久高校で、当時は学区制があったので有田郡内では一番の進学校だった。その高校に進学できたことは僕にとっては驚きの連続だった。

 

湯浅町立湯浅中学校は、当時荒れており僕も先輩の苛めなどで通学するのが嫌で学校嫌いになっていた。不登校生に近い状態で3年間を過ごしたので成績は最低で、とても高校進学などできる状態ではなかった。

 

友達の酒井君のおかげで3年生の冬休みから猛勉強して何とか耐久高校に進学することができた。おそらく湯浅中学校の学友は驚いたことだと思う。耐久高校の学友は幼いころから勉強してきた上品な人ばかりに見えた。

 

何しろ、授業中に廊下をうろつく学生がいない。先生を、「センコー」呼ばわりする生徒がいない。休み時間でも勉強しているし、下品な言葉は使わないし、卑劣なことはいっさいしない。僕には未知の世界だった。

 

そんな高校で3年間、ホームルーム委員長を務めさせてくださったことは、僕には何よりも素敵な経験となった。仲間として認めてくれて笑顔で付き合ってくださった学友の皆さんとの学園生活は夢のようだった。

 

そんな学友との絆が誇りとなって、それ以後の人生に大きな礎をもたらしてくれた。江戸時代の創立とか、稲村の灯で有名な濱口梧陵が創立した学園であることよりも、素晴らしい人たちが集まって勉学に勤しんだ日々を過ごした学び舎として讃えたい。

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