1970年代、若者は共産主義に憧れていた
僕が大学に進学した頃、学生運動の末期だったが、それでも学内には中核と書いたヘルメットをかぶってビラを配っている学生が多くいた。彼らは講義の最中に教室に入ってきて革命を僕たちに訴えていた。彼らは、毛沢東を崇拝していたし、彼らの話す内容は素敵なものだった。
ただ、共産主義を訴える学生は、その意見に同調しない人を責めて、自己批判しろと脅迫めいた行動に出ることがあり恐怖すら感じた。行動を共にする仲間ですら、疑って自己批判というリンチがあった。北朝鮮でも中国でも考えを共にできない人を排除する態度は変わっていないと思う。
誰もが富を平等に分けて幸せに暮らすという理想は実現せず、上層部の階級だけが富を独占するようになる。人間の欲は、自分だけは特別で贅沢してもイイだろうと思うようになる。特権を失くさないためにライバルを暗殺したり追放したり。個人崇拝を推し進めるようになる。上層部を尊敬していた人も媚びを売るようになる。
現実を知らない当時、日本の学生は、共産主義国家は理想社会を実現したと憧れていた。戦後の日本は、軍隊で鍛えられた父親が権力をふるい、家族に従えと命令する父親の態度に団塊世代の若者は反抗した。戦後の日本は政治家の腐敗もあり、資本主義に対する不信感がつのっていた。どこかにガンダーラのような理想国家があれば…
しかし、幸せはどこにもなかった。素晴らしいリーダーもいなかった。個人崇拝の怖さも知った。ひとつの理想に燃えて生きれば、それに反対する人々を殺すまでに至ることを知った。どこかに理想があるのではなく、自分で自分の理想を叶えるために奮闘努力するしかないことを知った。
誰かに頼りたい、誰かを信じていたい、それで自分の幸せを創りたい。そう思う人は多くいる。幸せの青い鳥はどこにもいない。あるとすれば自分自身。一身独立して一国独立する。誰かを頼るのではなく、頼られる自分を創る努力を怠らない生き方こそが大切だと知るようになる。