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下剋上野球 創部以来初の甲子園

 

僕の母校は和歌山県立耐久高校で、かつては相撲部やマンドリン部が有名でしたが、野球部は県大会でも初戦敗退などなかなか勝てない状態が100年以上続いていたと思います。嘉永5年(1852年、江戸時代)にヤマサ醤油の7代目濱口梧陵(はまぐち ごりょう)の創立ですから170年以上昔の話です。

 

濱口梧陵は稲村の灯で有名で、小学校の教科書にも載っているかと思いますが、地元の若者に開国論者である彼は、自分で世界に目を向けて論語や儒学ではなく現実を学び、自ら労を惜しまず人々に尽くす人であるようにと願って創立された「自学自労」の精神をモットーとする私塾が前身です。

 

濱口梧陵は幕末の勝海舟のパトロンでもあり彼に資金援助して、世界中にヤマサ醬油が販売できるような開かれた日本を建国して欲しいと願っていました。そう考える商人の多くが開国に前向きな志士を援助して明治へと代わっていったのだと思います。従来の私塾は論語や儒学が中心でしたから先生はいなかったのかもしれません。

 

耐久高校野球部は明治38年(1905年)日露戦争の翌年創部ですから、118年目にして初めての県大会優勝と近畿大会ベスト4を手にしました。メンバーは全員和歌山県有田郡や日高郡の若者たち19人が39歳の若い監督の下で勝ち取った優勝でした。これには地元民だけでなく、全国に散らばった卒業生もビックリしました。

 

僕が学生の頃も耐久高校野球部は弱小ながらも夜遅くまで練習しており、紀三井寺球場まで何度か応援に行ったことがあります。高校の近くに住んでいたので、幼いころから野球の練習は観ていましたが、いつも夜遅くまで頑張っている姿が印象的でした。そんな先輩たちの歴史があっての優勝だと感慨ひとしおです。

 

これまでも、これからもそうでしょうが、優秀な選手をスカウトしてくる強豪高校と違って、耐久高校は野球が好きで地元が好きで、地元の高校でノビノビと野球を楽しみ、学業にもいそしむ若者たちのための野球部だと思います。118年目にして春の選抜に初出場すると思うので精いっぱい応援したいと思います。

 

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