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兵士である前に人間

 

「私は貝になりたい」1958年のテレビドラマで、太平洋戦争で上官から捕虜となったアメリカ兵を刺殺しろと命令された心優しい兵士がいた。彼は、普段からおとなしく妻と平和を愛する一庶民だった。その彼でも上官の命令に逆らえば銃殺にされるので恐怖からアメリカ兵を刺殺する。

 

やがて終戦、東京巣鴨プリズンで戦争裁判が行われる。生き残ったアメリカ兵の捕虜は、捕虜を刺殺したことはジュネーブ条約に違反し、彼を逮捕し、彼は戦争犯罪人だと訴える。彼は上官の命令だったと説明するが、上官は法廷でそんな命令はしていないと証言する。しかも命令書がないことで単独犯にされる。

 

自分が殺そうとしたことに間違いはないが、共に戦ってきた仲間の兵士も戦争犯罪人になることを恐れて証言してくれない。追い詰められた彼は、「私は貝になりたい」と言って死刑を宣告され処刑される。戦争犯罪人は、上官の命令でも一人の人間として生きることが求められる。

 

無差別な殺戮をすれば、終戦後、戦争犯罪人として罪を問われる。自分が生きるために必死だったとしても、武器も持たない子供や女性、ご老人を殺せば罪となる。戦争裁判をしなくても、殺した兵士はその罪の意思にさいなまれPTSDになることがよくある。戦争ほど人格を破壊するものはない。

 

兵士は命令によって殺人を強制されるが、殺しあっているお互いにはそれぞれ家族がいて愛する人がいる。お互いをよく知ればとても相手を殺すことなどできない。兵士が武器を捨てて相手に両手を上げて上官の命令を無視してこれ以上、殺しあうのはやめようと言いだしてもそれは人として当たり前の行為。

 

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