昭和は遠くなりにけり
戦後の日本は朝鮮戦争による特需とベトナム戦争による特需で不況から抜け出し、高度成長を遂げて世界第2位の経済大国になった。戦後は人口が爆発的に増加して、労働者が爆増したが経済大国になってきた日本は都市部で労働者を受け入れてきた。
男性中心の社会で、猛烈社員が求められ残業など当たり前で、睡眠時間を削って働いていた。会社で寝泊まりするサラリーマンも多くいた。女性社員はお茶くみなど男性社員の結婚相手とみなされ、結婚を機に寿退社するのが常識だった。
新人サラリーマンは文化住宅を借りて住み、30代前後で戸建てを購入するのが一般的。年々上昇する給与を背景に目いっぱい借り入れても5年もすれば返済が楽になっていた。しかも、購入した戸建ての再販価格は買った時より上がっていることもあった。
新入社員研修は富士山ろくで軍隊教練のような研修。朝6時起床、掃除の後マラソン、朝食をとってから大声を張り上げて気合を入れる。軍歌の歌詞を変えた歌を、肩を組んで歌い。会社のために生涯をささげる誓いを立てる。
会社の役職は軍隊と同じで、厳しい上下関係になり、上司の命令は絶対的なもので逆らうことなど許されない。社長は天皇陛下のような存在でお会いすることすらできない。役員は運転手付き社用車に乗って出社してくる。
家庭でいちばん偉いのは父親で、お見合い相手を見つけて、「この男と所帯を持て!」の一言で結婚相手が決まる。結納の儀式も厳かで結婚式ともなると街をあげての一大イベントだった。女性たちは炊き出しで大忙し。いっしょに食事をすることすらできない。
田舎と都会では給与の差が2倍ほどもあり、田舎の若者は都会に出ることが夢のようだった。田舎の子供たちは遊びに夢中だったが、都会の子供たちは進学塾に通い、一流大学に入学するため必死になって勉強していた。
昭和は部下を連れてキャバクラで遊び、高級酒をたのみ、着飾った女性を横に座らせ、アメリカブランドのタバコをふかすのがステータスになっていた。「いつかはクラウン」「大きいことはいいことだ」と言われていた。