住まいの25年周期
昭和20年(1945年)終戦後の日本は焼け野原でバラックが建ち人々は粗末な家で暮らしていた。それからの25年は戦後の復興と人口爆発で都市に人が集中し、建坪50、延床120㎡程度の戸建ての家が飛ぶように売れていった。焼け野原になっていた都心は道が狭く家が密集する街と変わっていった。
次の25年は、戦後を生き抜いた人々の子供たち(団塊の世代)がそれぞれ大人になり兄弟も多く、都心の親世代から独立して働くようになり、購入する戸建てはドンドン郊外に広がり通勤時間もドンドン長くなっていった。それでも郊外に都市計画された家並みは綺麗で人々の憧れだった。
それから25年、団塊世代の子供たち(団塊ジュニア)もまた兄弟が多く、親と一緒に暮らすのではなく独立する必要があり、通勤地獄に苦しまないように都心の狭小マンションを購入するようになった。戦後の復興期に建てられた都心の家々は狭小マンションへと変貌していった。
更に25年が経つと、団塊ジュニアの子供は一人っ子が多く、就職もままならず、出世は望めない社会で暮らすようになった。インターネットの普及で都心の狭小マンションで暮らすことなく仕事ができるようになり、テレワークの普及で毎日の通勤もなくなった。彼らは郊外の中古戸建に住み、仕事のできる部屋を確保しようと考えるようになった。
このように25年ごとに住まいに対する考え方は変化して膨張と収縮を繰り返している。その先の25年で世代交代が起こり、また都心回帰になり、安くなった都心の中古マンションをリフォームして暮らすようになったり、辺鄙な田舎暮らしをしながら都心の会社に帰属して仕事をしていたりするのではないだろうか?