幸せな人生
僕たちは、お金持ちを幸せな人だと感じている。ビジネスやスポーツなど人より優れた才能を発揮して高額な報酬を得た人を「あの人は幸せな人だ」と言う。それはお金という物差しだけで測った価値観だが、そうした人でも不幸を感じている人はけっこう多い。
廃墟になりそうな市場で、ボロボロの大衆食堂を経営しているご家族がいて、周りのお店はシャッターが下ろされ閉店して久しい。それでも大衆食堂のご家族は嬉々として働いている。儲けは少なくやっと食べていけるような状態なのに。
やってくるお客様が「美味しい」「また来るね」と言ってくださるのが励みになっている。一見すると貧乏で薄汚れた廃墟のようなお店だが、そこで暮らしている家族は幸せいっぱい。外見では判断できないのが幸せ。
まったくモテないクンが飲み屋で出会った女性に一目惚れ、彼女も自分が大好きだと言ってくれる。幸せの絶頂を感じる日々。あれを買ってあげて、これも買ってあげて、お金が無くなると不機嫌になりフラれてしまい、不幸のドン底。
働く仲間といっしょに毎夜のように居酒屋で仕事の事を話し合っていたが、ある日の健康診断で癌が発見され手術。そのときは不幸のドン底なのに、手術がうまくいって元気に動けるようになると幸せの絶頂で笑顔が絶えない。
人は、そのときそのときの状況で不幸せを感じたり、幸せを感じたりする。あるいは、不幸に見えていても幸せだと感じている。長く幸せを感じるには自分や他人との慈愛という名の信頼が必要に思えてくる。自分を慈しみ、他人を慈しむ行為があれば長く幸せを感じる。
自分を否定し、他人を否定すれば、どんなに財産があっても、どんなに贅沢しても不幸でしかない。幸せを感じるには、自分や他人を肯定し、深い愛情が必要なのだろう。