愛犬の死
15年前、捨て犬を子供たちが拾ってきた。犬を飼うのはこれが二度目で、一度目は僕が小学校5年生の時、20代の時は猫を飼っていた。生き物の死は悲しくせつないのでできれば飼いたくなかったが、捨て犬の目を見るとかわいそうで飼うことにした。
バースと命名して、毎日の餌やりと朝夕の散歩を欠かさず15年が過ぎた。今年はめっきり足腰が弱くなり歩くのがやっとの状態だった。犬猫病院で点滴やお薬を処方していただいたが、歩けなくなると2日で旅立っていった。
歩くのにも一苦労で排せつ物の世話など介護してあげたが、最後は意識がもうろうとして、幸せな過去を振り返っているかのようだった。生きているときに精一杯優しく接し愛してあげた。最後を看取って何の悔いもない。
2020年10月27日、愛犬バースは15年の生涯を閉じた。命あるものはいつか終わりを迎える。役場に連絡して焼き場で焼却していただき、これまでの犬小屋は彼の墓標となっている。ご近所の方も花を供えてくれた。
誕生した生命は、いつかは終わりを迎える。生きていた時の自分は幸せなので、いつまでも悲しまないで皆さんも幸せに生きてほしいと話しているように思う。死は悲しみだが、それを乗り越えて笑顔で生きていくことが本当の供養だろう。
生きているときにお互い何をしたのかは大切。頼ってばかりではなく、頼られる存在でもあること、お互いに尊敬し尊重しあうこと。だからこそ、相手の死を悲しむばかりでなく、相手のためにも精一杯幸せな生き方をしようと思える。