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大きな嘆きは、大きな成長の種

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幼いころ、共働きのため、僕は家事を任されていた。寒風の中で洗濯板を使っての手洗い、薪をくべての風呂焚き、土間での調理など、自分でやらねば食事ができない。働いている母親を嘆いて待っているより、自分で調理する方が空腹を早く満たすことができる。おかげで、僕は趣味の域を超えて家事ができる男になった。

 

大学を出て、借金返済のために建築設計の仕事を諦め、サラリーマンを辞めて、自営で魚の行商の道を選んだ。矢のような返済の催促に嘆き、もっと、儲けようと下着の行商、洋服の行商、売れ残りのメーカー品の洋服の卸販売、服飾メーカーの立ち上げなどに挑戦し、多額の借金返済ができる儲けを出せる男になれた。

 

人は追い込まれると、本領を発揮する。追い込まれて嘆いてばかりの人であれば、せっかくの成長のチャンスをみずから潰してしまうが、乗り越えようと必死になってもがいて苦しめば、そのぶん成長している。嘆きは誰にでもあるが、その嘆きこそ自分の成長の種に違いない。

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