不思議の国、日本
海外の友達が日本にやってきて質問される。日本人はクリスチャンでもないのにどうして結婚式は教会や牧師にお願いするの?カナダやアメリカ、ブラジルでもありえないと話してくれる。宗派が違えば、その行事には参加しないのが常識なのだ。
日本ではキリスト教の行事であるクリスマスやハロウィン、バレンタインなど大々的にやっているがキリスト教徒ではない。葬式は仏教、正月は神社、と海外の方からすれば、この民族には宗教心はないと思われても不思議ではない。
しかし587年、日本でも宗教対立で蘇我氏(仏教受け入れ派)と物部氏(神道派)が戦って、それまで神道しか祀ってこなかった日本が仏教を受け入れるようになる。大陸文化を導入するには仏教の受け入れが必要だった。
仏教には多くの仏がいて、激しい対立なく神と仏が共存できる素地があったことが民衆にも受け入れやすかった。火を扱う場所には火の神様がいるし、病気になれば無病息災をつかさどる仏がいるといった具合で使い分けができる。
人々の為に尽くしてくれた人を神として祀ることもあれば、恨みをかうのを嫌って神にしたこともある。氾濫する河川を神にする事もあれば、漁師は魚を神として祀っている。日本人はこうして感謝の気持ちを神として崇めることで表してきた。
こうした文化があるので、キリスト教が入ってきてもイスラム教が入ってきても、日本人は神や仏の一種類だから強烈に拒絶することがなかった。人が死ぬと仏になるなんて考えは海外にはない。でも、日本人は普通に感じている。
日本は神や仏に寛容な民族で、それで皆が楽しめるならイイではないかと思っている。世界がひとつにまとまらなければならない時代に、宗派が違うだけで殺しあうのではなく、受け入れる日本人の宗教観はとても大切な考えだと僕は思う。


