昭和の大衆食堂
戦後の昭和、駅前には大衆食堂が必ずと言っていいほどあった。家族経営の食堂で、お皿に盛りつけたお惣菜をお盆にのせて、「おばちゃん、豚汁とごはん大盛り、お願いします」などと言って勘定を支払い席に着く。お茶はやかんに入っており、自分でお茶を入れて食べる。
お惣菜はすべてそのお店で調理したもの。食材は近くの市場で早朝、仕入れてきたもの。早朝から仕込みに入り、開店するまで出汁を取って味付けし、お惣菜を作っていく。親子どんぶりなどの調合調味料もこのときやり終えて仕込みが終わる。
こうしたお店はチェーン店におされて少なくなったが安心して食べることができる。長年やってきて薄汚く見えるが、セントラルキッチンで海外の食材を加工して安く販売している大手のチェーン店より美味しくて少し高い価格だが充分価値がある。
こうしたお店の外観はみすぼらしく、看板も擦り切れていることがあり、綺麗なチェーン店とはまったく異なる。学生のバイトが働いているチェーン店ではなく、年老いたおばあちゃんとお子さん、場合によってはお孫さん迄働いている。長年使っているエプロンはボロボロ。
僕はこうしたお店が大好きで、通いなれたお店もあったが、ご主人が亡くなり閉店したり、腰痛で閉店したりしていった。行きつけだった中華料理屋では、BUNちゃん定食なるオリジナルもあり、ご主人やおかみさん、お子様とも仲良しだった。