定年後は楽して暮らせる?
神戸三宮郵便局課長をしていた父親は定年後、かなりの退職金をもらったらしいが、わずか数年で使い果たしている。毎日、町内のパチンコで朝から晩まで過ごし、近くの居酒屋で大好きなお酒を呑み、カラオケで演歌を歌い、これまで頑張ってきた自分へのご褒美だったのだろう。
お酒がもとで喉頭がんになり、肉が大好きなので不整脈が発覚し、急遽カテーテル手術を受けるようになる。元気な時は釣りが大好きで、遠くまで釣りに行っていたが病気になるとそれもできなくなる。死ぬかもしれない恐怖は苛立ちを隠せず、母親に辛く当たっていた。
お金も使い果たしているので、医大の大部屋に入院していた。医師からは手術をするかどうか判断するように言われていたがお金がない。母親から僕にそうした事情の説明を受けて、お金を出すから個室に移り、手術も受けるように話した。5回の手術を受けたが74歳で亡くなった。
父には、もう手術しても助からないから家に帰って母親に優しく接して、これまでの恩返しをしてみてはと話した。人間、死ぬ間際の態度で評価が決まるから頑張って欲しいと話した。父は死を受け入れて母親に優しくし、お互いに愛情を育んで幸せな最後の日々を二人で過ごして死んでいった。
父親の葬儀代を支払って、遺骨をもらって実家に置いた。最後の夜、母親は父に「今度、生まれ変わってきても夫婦でいような」と話して、二人して抱き合って泣いたと話してくれた。あれほど憎みあっていたのに、最後は愛情に包まれていた。あれほど父親を憎んでいたのに、僕から憎しみは消えていた。
母親は数年間、父の遺骨を墓に入れず自宅に置いていた。仏壇の前で、いつも父と思い出を話していたらしく、あんなに素敵なお父さんはいなかったとつぶやいていた。年老いた母の家をリフォームしてひとりでも快適に暮らせるようにした。あんたは仏のような人やなと90歳の母に言われる。