おまえに残せる財産はない
僕が幼い頃、家では毎日茶粥、イワシと味噌汁と漬物を食べていた。おかげで72歳になった今でも、それは大好物。あなたの大好きな食べ物は何ですかと聞かれたら、「おからと茶粥、金山寺味噌があれば最高です!」とお答えしているが、それは本当の事だ。幼少期に食べたものは舌が覚えている。
貧しい暮らしではあったが、僕の母親は「あんたはいつか大物になる。」と口癖のように言っていた。あるときは、「大物は、好き嫌いをしてはいけない。誰かに誘われた食事のとき、好き嫌いがあれば、それだけで評価が下がるから、何でも美味しいですねと言って出された食事はすべて食べなさい。」と教えてくれた。
貧乏暮らしに慣れているハナタレ小僧に、あんたは必ず大物になると言ってゆずらなかった。二人で昼ごはんのとき、お皿にご飯と豆腐があった。木綿豆腐をステーキだと思ってナイフとフォークを使う食べ方を教えてくれた。当時、ステーキなどお金持ちしか食べられないのに、あんたはいつかこうした食事をするようになるからと言った。
幼い頃から土間の台所に立ち、料理を教えてくれた。包丁を研ぐのはいつも僕の役目だった。お買い物も僕の役目だったが、母にすれば、お肉を50g単位で注文するのが恥ずかしかったからだ。洗濯板を使って洋服を洗うのも僕がやった。薪でお風呂を沸かすのも僕がやった。どれもこれも楽しい思い出だし、今でも役立っている。
母は、「今のお母ちゃんがおまえに残せるものは何もないが、お母ちゃんが幼い頃に裕福な家で培った習慣や人の見極め方などを教えることはできる。その教えだけであんたには充分だと思う。」確かにその通りで、母親から教えてもらったことは僕の身体に沁みついている。今日、成功できたのも母親のおかげだと思う。