モータリゼーションが街を変えた
戦前の日本は移動といえば徒歩、自転車、汽車、船であり、荷馬車やリヤカー、大八車などが荷物を運ぶ手段だった。石炭を炊く汽車は煙がものすごく、周辺の方は洗濯物を外に干せば煙のススで真っ黒になった。汽車の移動は時間がかかり、寝台車付きの夜行列車も多くあった。
駅周辺に人家が建つが、人が通れる程度の道さえあれば事足りた。1mの幅もないような路地を通って自宅に帰る人も多かった。徒歩圏内で生活ができるよう商店街ができ、個人経営のお店が立ち並んだ。商品はメーカー指定の定価販売しかなかった。
戦後の高度成長時代になると、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が飛ぶように売れるようになる。商店街に百貨店ができて高級品を買い求めるようになる。1960年代後半からはカラーテレビ、車(カー)、クーラーの3Cが売れるようになった。
車の普及は移動時間を短縮し、遠くへの移動が可能になり、駐車場が広いお店に行けるようになる。これがモータリゼーションの始まりで、郊外にショッピングセンターを作るようになり、ダイエーが価格破壊をもたらして定価販売をしていたお店を駆逐していく。
ダイエーは店舗周辺を住宅地として開発して販売するようになると、車で移動するようになった団塊世代の人々は道が広い住宅地に住むようになる。車の移動に不便な駅周辺の家にはご老人が残されていった。小売店は巨大化し、メーカーよりも価格決定権を持つようになる。
団塊世代の成長に合わせるように、都会の郊外に駐車場付きの団地が次々と造成され団地の中心にはショッピングセンターが開発され、人々はそこでお買い物ができるようになる。システムキッチンや火災の心配がない鉄筋コンクリート造に人々は憧れるようになる。
不便になった駅周辺の土地は再開発され、駅前ロータリーができ、駐車場が完備され、駅近の高層マンションが建てられて、団塊ジュニア世代が住むようになる。次の世代は、ネットによって仕事やお買い物を済ませるようになる。車はレンタルで済ませるようになる。