江戸時代創立 耐久高校野球部悲願の甲子園初出場
2024年3月20日 春の選抜に我が母校 和歌山県立耐久高校が千葉県の私立中央学院高等学校に1対7で惜しくも敗退した。母校が甲子園に出場するなど夢物語でしかないかもと思っていたので、ただただ選手の皆さんや学生の皆様には感謝しかない。
耐久高校の創立者 濱口梧陵はヤマサ醤油の7代目であり、千葉県内に多くの和歌山県人を移住させて醤油造りをしていたので、勝浦、白浜など和歌山にちなんだ地名がたくさんある。そうした歴史のある和歌山県と千葉県が試合をすることに縁を感じた。
和歌山県は、山間部が多く平地が少ないので林業や漁業、みかんなどの柑橘類などで生計を立てるしかなかった。太平洋の黒潮に恵まれていたので、昔からクジラ漁も行っており、大海に出ることに躊躇しなかった。
江戸時代から和歌山県人の多くは、江戸や大阪などに出かけて商売をするようになり、紀伊国屋文左衛門やヤマサ醤油、松下電器(パナソニック)など、県外で大規模にビジネスを展開している。僕も東京に本社を置いて全国展開している。
アメリカやブラジルへの移民も多く、和歌山県にはアメリカ村まである。耐久高校の卒業生の多くも県外の大学に進学し、そのまま県外の企業に就職することが多い。おそらく地元に残る学生は今でも少ないと思うが、これからも頑張ってほしい。