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理由なき反抗

 

僕が学生の頃、多くの若者が中国の毛沢東やマルクスレーニン主義に傾倒していた。ヘルメットにタオルを引っ掛け学生運動に情熱を燃やす若者が多くいた。日本の政治体制を批判して大人への反抗心をむき出しにしていた。

 

僕には、先輩である団塊の世代は、戦後を生きてきた親世代の戦陣訓を指針とするしつけに対する反抗だと映った。校門にバリゲートを築き、大学の教授を吊し上げ、自説を声高々に叫ぶ姿をカッコよいとは思えなかった。

 

そんな彼らも就職となると長髪を切り、背広にネクタイを締めて大企業に就職していった。まるで、子供の遊びのように懐かしむことがあってもストライキやデモはしない。ただ、批判精神は旺盛で居酒屋で自説を披露していた。

 

彼らが理想とする中国の毛沢東が行った文化大革命は、若者が知識人を吊し上げたり、貴重な文化財を破壊したりする行為が目立ち、とてもこれが理想国家の姿とは思えなかった。日本でも連合赤軍の自己反省による殺人があり、学生運動は収束していった。

 

その後、共産主義国家は国家体制を維持することが最優先で、国民に自由な発言を許さないことがわかる。また、民主主義国家と同様に汚職が蔓延していることも階層社会で富裕層と貧困層があることも判明する。

 

現在の若者は、自由と平等を求めながらも地球環境に優しい生き方を模索しているように思う。それは飽くなき欲望を満たすことではなく、ささやかな幸せで満足する自然な暮らしを求めているように感じる。

 

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