大学進学のための教育制度の弊害
戦後、日本の教育は東京大学を頂点とする大学進学のためにあり職業訓練はおろそかにされてきた。優秀な学生であるほど進学をすすめ、受験勉強が最優先され、親子が一丸となって合格のため奮闘努力してきた。そのため多くが犠牲にされてきた。受験のために家庭が崩壊することもある。
欧米では、そこまで受験に関心はない。むしろ、職業訓練の勉強に力点が置かれ、いろいろな職業のトレーニングプログラムが用意されている。そこで勉強すれば就職先すら見つけることができる。欧米では、年長者の学生が多いが、それは社会人になってから仕事のスキルアップのため再学習しているからだ。
日本では、実践的な職種ごとの学習プログラムはないが、欧米ではそれぞれの職業と職種に応じた教育内容が豊富に組まれている。そこで学ぶことで新しいスキルを身につけて再就職できる。また、そこで学ばなければ求職給付は受けられないので、失業者は嫌々でも学びなおすようになる。
退職すれば再学習して、次の仕事のスキルを身につけてから、それを活かせる会社に就職する。こうしたことを繰り返すので、いくつになっても転職が可能になる。日本では、こうした制度がないため、退職すれば次の職場でのスキルを身につけることができない。成長産業への転職がうまくいかないのはそのため。
政治家や大学でこうした話をしたことがあるが、聞いてはくれてもやる気がない。文科省の大臣ですら教育改革には否定的だった。大学に至っては事務局と教授では全く認識が違い、事務局は就職率を上げるために資格取得に興味を示しているが、教授は実務など教えるのは大学の教育ではないと否定している。