神様 助けて!
愛国心に駆られて兵士になった人、貧しさから逃れるために兵士になった人、差別から逃れるために兵士になった人…いろいろな理由があれど、戦場においては敵兵を殺さなければ自分が殺される。撃たなくても敵兵は自分を狙って撃ってくる。戦場には殺し合いしかない。
自分だけは生きて帰りたいという思いから必死になって生き残るために敵兵を殺す殺戮の場が戦場。敵兵も同じことで、戦場に行っても生きて帰って来てと必死になって祈っている家族や恋人がいる。できれば兵士にならず、戦場には行かないでと願う家族や恋人がいるのは、敵味方どちらの兵士も同じ事。
行ったことがない島が自国の領土で、敵国軍が軍事施設を作り占領しているというニュースを聞けば、なんてひどいことをするものだと思ってしまうが、占領だと思っているのは自国民だけで、占領している敵国民は自国の領土だとニュースで流している。どちらの主張が正しいかはわからない。
国民は自国のニュースを信じて、領土の取り合いから戦争になれば愛国心から戦場に出て行く。憎い敵だと思って打ち殺すが、死にゆく兵士が「神様、助けて!」と叫び、彼の胸ポケットに家族や恋人の写真が入っていれば、自分はなんてひどいことをしてしまったのだろうと悔やむようになる。
敵兵を殺すということは、同じ人間を殺すということで殺人と何ら変わりはない。そこに如何なる大義名分があろうとも、殺戮を正当化できるものではない。隣国同士、一緒に仕事をし、一緒に泣き笑い、お互いの家族自慢をしたり恋人を紹介しあったりしていても、戦争になれば別れて自国の兵士になり、戦場で会えば殺しあう。