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儲からなければ廃線やむなし

 

昭和30年代の和歌山県では、国鉄(現在のJR西日本)の機関車が現役で走っていた。真っ黒の煙を強烈に吐き出して、汽笛いっせいガタンと動いて加速していく機関車は力強かった。車内は木製が多く、タバコを吸う人が多いので灰皿も完備されていた。

 

トンネルに入る前に乗客はいっせいに窓を閉める。そうしなければ車内に黒煙が入ってきて皆が真っ黒になってしまう。貨車も多く、荷物は受け取りのハガキと印鑑を持って駅に行った。今のような宅配便などはなかったので、発送して半月経ってから受け取る。

 

僕が住んでいる和歌山県有田郡には有田鉄道という私鉄も元気で、木材や農作物などを運んだりしていた。一両編成の電車は、通学生で満員のときもあれば、湯浅町へのお買い物客や済生病院に通う人でにぎわっていることもあった。

 

庶民は歩きや自転車、よくてもオートバイで自家用車は余程のお金持ちでなければ所有していない。それが高度経済成長の波に乗って自家用車の時代になると電車は儲からなくなっていく。当然、赤字が続けば廃線となる。

 

当時の有田鉄道の路線は、今では「ポッポ道」として町民の遊歩道になっている。僕は、毎日この遊歩道を歩いている。かつて乗車していた有田鉄道の客車は鉄道公園に飾られている。かつて活気のあったふるさと湯浅町は、寂れた街となっている。

 

時代の流れに逆らうかのように鉄道存続運動や町おこしなども行われているが、人口減少、少子高齢化の流れが変わらない限り、町は寂れインフラの補修もできず、衰退するしかない。それにあらがうよりもそれに従う生き方をした方がよさそうだ。

 

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