悔し涙も枯れ果てて
20代の頃、僕は借金を抱えて四苦八苦していた。仕事なら何でも請け負っていたので、何か仕事はありませんかと飛び込み営業をしていた。とある会社の社長さんが僕に「君を雇う人はいないだろう」と皮肉を込めて言われたことがある。頭を下げて帰ろうとすると、「あいつ、あれでも大卒だったぜ!」と軽蔑した声が聞こえた。社員の人たちは笑っていた。
会社のドアを閉めて歩き出すと涙がこぼれて前が見えず、歩くこともままならなかった。いつか見返してやると思ったが、貧乏で借金まみれの僕には見返す見込みもなかった。どうしようもなくみじめだった。銀行からは矢のような返済の催促、必死になって魚や洋服の行商をしていた。早朝から深夜まで、仕事漬けの毎日で、いつになれば楽になるのか見当もつかなかった。
人からさげすまされて、バカにされて、悔し涙も枯れ果てても必死になって働いてきた。70歳近くになり、そうした思いが自分を鍛えてくれたのだと思うようになった。もしも、悔しい思いをしたなら、それはその人の評価であって、別の人はまた別の評価をするものだ。「君はいらない」と会社に言われても、別の会社では「どうか来て欲しい」と言うかもしれない。あきらめないことだ。