学問は身を助ける
23歳で多額の借財を抱えた僕はサラリーマンを続けることができなかった。大学で学んだ建築設計の知識は、魚の行商とは全く畑違いだったが、さばき方や調理方法を学び仕事ができるようになった。洋服の行商を始めた頃は、仕入れ先を開拓するために大阪、神戸、京都、岐阜、名古屋、東京と仕入れ先を広げていった。
それぞれの仕入れ先では、売れ残りがあり、それをまとめ買いして自分で卸を始めた。店売りよりも卸売りの方が売りやすいことに気が付いた。ただ、売れ残り商品はいつもあるわけでなく、継続して商売をすることができないので、自分で服飾メーカーを始めようと思った。税務や経理、総務などの業務は勉強した。
化粧品店を始めたときは、化粧品の使い方やお手入れの仕方、お顔のマッサージなどを美容部員さんから教えてもらった。洋品店を始めた頃は、服飾メーカーの方に洋服の作り方やこだわりについて教えた貰った。自分でデザインして服飾メーカーになったときは、洋裁学校の生徒から技術を学んだ。
31歳で借財を完済して、学習塾を始めた頃は毎日必死に勉強して教えていた。予備校を始めたときは、大学入試問題を悩みながら解いていた。優れた先生を田舎で見つけられなかったので、自分で講義を収録して生徒に見せながら勉強してもらった。そのうち、パソコンが学習に役立つのではないかとパソコンを習って使い始めた。
Windows95が発売されてインターネットを利用できるようになると、これはビジネスを大きく変え生活が一変すると思い、パソコン教室を立ち上げた。日々更新されて新しい機能がドンドン付いてくるパソコンを覚えるために、毎日勉強しなければならなかった。それは65歳になった今でも同じことで、去年の新しいスキルは、今年は通用しないこともある。
毎日が勉強で失敗の連続でもあるが、その失敗から学ぶことで成功へと導いてくれる。時代の最先端でビジネスをしているからこそ、会社は反映して多くのお客様にご満足していただけるサービスを提供できている。従業員の皆さんに、良い給与を支払い、しっかり休みも取っていただくことができる。