街おこし
東京の銀座、大阪の梅田など、有名店が多くあり人も多く行き交う場所に出店したいという商売人は多い。しかし、多くの商売人は高い家賃や補償金にビックリしてとても手が出ない。そこで、半世紀前、東京では原宿に、大阪では四ツ谷橋に、若いヤル気のある商売人が独自のファッション店を出した。
彼ら若い商売人は、集まることによって集客力が付くことを知っていなかったが、同じセンスを持つ者同士が集まって情報交換していた時に、ここなら安いから一緒に出店しないかと話し合っていた。最初は数店舗しかなく、人もまばらだったが、有名店にはない商品が魅力だった。
飲食店も、ボロボロの借家を改装費もかけないでボロを売りにして内外装を行ったので、有名レストランにはない魅力が出せた。若い料理人は、自分たちのオリジナルメニューで勝負して若者の支持を集めた。おじさんたちには理解できないセンスが若者に受けて多くの若者が行き交うようになった。
20年もすると、原宿も四ツ谷橋のアメリカ村も家賃が高くなり、東京では竹下通りやキャットストリート、大阪では茶屋町や中崎町に新たな若者がお店を出すようになっていく。こうして、町おこしがなされていくが、行政主導の町おこしは失敗が多い。行政主導の町おこしは、旧商店街の救済策が多く、若者の動向には疎い。