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わかるとできる物語 第4章 9 「わかるとできる」パソコン教室の解散も考える

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僕は日本中の人々に低料金でパソコン学習ができる教室を広めて、ITスキルを駆使する21世紀のデジタル革命に遅れを取らないように国民の皆様に貢献していきたいという思いで起業したが、本社機能は麻痺し、直営教室は赤字、担当部長は反抗的、FC事業部は過少申告や違法ダビング、離反行為の対処などに迷走していた。

 

本社すらまともに管理できない状態で、加盟校を巡回し、加盟校指導をしながら教材の収録を行っていた。これに、直営事業部の再生を担当し、不正申告の撲滅のために生徒管理システムを目指したが、プログラマーに簿記の知識がないために、ロジックにミスが頻発して修正するのでバグが避けられない。

 

日本の教育制度では、普通科に進学している限り簿記会計を教えない。大学を卒業してもほとんどの方は会計処理の方法を大学でも習っていない。そこで、授業を受けただけで現金を頂かなければ売り上げとはならず、売掛金処理しなければならないがそれがわからない。授業料を頂いた時に初めて売り上げとして記帳できることを知らないでプログラムを作ってしまう。

 

消費税が4月から始まれば、授業料を頂いたときに消費税が発生するのではなく、受講した日にちで決まることがわからない。例えば、3月に4月分の授業料を支払っても、受講するのが4月であれば、3月に支払っても新しい消費税で支払わなければならない。教室スタッフもオーナー様ですら簿記会計を知らないので、授業を受けたときに売り上げとし、消費税も昔の税率で事務処理するため間違いが多かった。

 

簿記講座を創め、会計処理の講座を収録し、全国の加盟校や直営教室を巡回して睡眠時間は4時間程度の日々が続き、ストレスから体重は80㎏になり血圧は160を超えるようになった。立ちくらみするようになり、講演会で倒れそうになるようになり、新潟では、病院に運ばれて緊急入院する事態になる。医師からは、仕事からしばらく離れて養生しなければ死ぬと言われた。

 

しかし、とても他の人に任せられるような事態ではなかった。植田専務が心配していたので、僕が長期入院や倒れたときは、会社を清算して欲しいと言った。山口常務は情が厚く、創業時に貢献しても、今は反抗的な部長を管理または解雇できない。彼が社長になれば、情に流されて会社はバラバラに運営されるようになる。君が社長になっても今の幹部社員では、反抗的で会社としてのまとまりがなく辛酸を舐めるだけになる。

 

会社が急激に大きくなると、それにつれて人材育成がついてこられない。幹部社員は、部下が増えることを特権だと勘違いして、彼らを囲い込み、自分だけの世界を創り、会社としてのまとまりがなくなる。和歌山支社と東京本社、それぞれの事業部の軋轢など急激な成長は急激な崩壊へと向かう。それをまとめることができるのは創業者である僕だけだが健康であっても難しい。

 

僕の体調が戻らないときは、どうか、会社を清算してくださいとお植田専務に願いした。創業時の意気揚々とした意欲は、体調不良の今ではボロボロになりそうだった。植田専務は「もともと、たった二人で始めた会社ではないですから、清算して、また、たった二人になっても何の不満も悔いもありません。楽しい人生でした。」と言ってくださった。

 

天命が残っていれば、僕は生き残るだろうし、ここで天命が尽きれば死ぬだろう。それにしても、波乱万丈な人生だったと点滴を受けている病室のベッドで思っていた。日本中の人々にパソコンスキルをお教えする使命は達成できたが、会社を経営することは、社長の命を削りながらやるもので非常に難しいものだと思った。

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