このサイトはJavaScriptがオンになっていないと正常に表示されません

一人殺せば殺人で、多くの人を殺せば英雄

2013-10-06 09.14.38 (1280x960)

ほとんどの国において自分の主張を押し通すために暴力に訴えることは、違法であり罰せられる対象となる。となりがうるさいから石を放り投げても、怒鳴り込んで威嚇しても、平手で相手を打っても、警察に通報され裁判ともなれば、うるさいからといってこうしたことが許されるものではないと処罰の対象になる。まして、相手を殺せば殺人となり最高刑を受ける。ところが、戦争ともなると多くの敵と云われる人々を多く殺した者が英雄として扱われる。

 

となりの土地の境界線で揉めれば、当事者同士がそれぞれに自分の土地だと主張して居座ったり、威嚇したり、ときには暴力に訴えれば、警察に訴えられ処罰の対象になる。政治家は、如何なる理由があっても暴力に訴えれば罪になると諭すだろう。裁判によって境界線を決めるのが民主主義というもの。政治家は、如何なる時にも冷静に対処してくださる人間ができた人々、つまりは偉い人。

 

彼らは自国民に「暴力はいけない」と言うが、他国となると、大量殺人=戦争もやむを得ないと叫ぶようになる。暴力反対で平和を願っている国家を代表する偉い人同士が、どうして話し合いで決着できないのか不思議な話。人類の英知をもってしても平和に解決できないものなら、贅沢に慣れきった彼らが搾取している平民同士で話し合いをしてみたいもの。

 

平民は、多くの国において政治家ほど賄賂を受け取り、私財を蓄えられる特権階級はないことを知っている。平民が触ることすらないような車に運転手付きで乗り、行くことのないリゾート地に見たこともない豪華な別荘を構えて暮らしている。それでも我慢して働いて彼らの生活を支えているのは、いつまでも平和を守ってくれると信じているからに他ならない。

« »