国を守るのは国民の務め
太平洋戦争で敗戦するまで、日本の子供たちや若者は軍人になって天皇陛下のために命を落とすのが務めだと信じていた。日本が戦争を始めると、その原因に対する自分の意見はなく、ラジオや新聞から流れてくる情報を信じて疑わなかった。自分たちは正義の戦争をしているのだと誰もが思った。赤紙で徴兵されると街を上げて祝った。
真珠湾攻撃では華々しい戦果をあげて大々的に報道したが、半年後のミッドウエー海戦で大敗北してもその情報は隠避され流されることはなかった。参戦した兵士は隔離され、国民に敗北が知らされることはなった。日本は神国で負けることがないと誰もが信じていた。軍令部にいた偉い軍人や政治家は敗戦しても戦死することはなかった。
ロシアもかつての日本のように嘘の情報を国民に流して情報統制し、国民を鼓舞して参戦ムードを高め、自分たちは正義の戦いをしているのだと信じこませている。戦死した兵士、敗戦濃厚な戦地、武器弾薬などの配送の遅延などの情報は統制され秘密にされている。かつての日本のようにロシアも敗戦するまで変われないのだろうか。
僕たちは、ウクライナからの報道によって被害状況が判別できるが、ロシアのプロパガンダによるフェイクニュースしか知らなければ、ウクライナは人権無視の悪事国家だと思ってしまう。ロシア国民のように、ウクライナで虐げられている多くの人々を解放するための正義の戦いだと信じて疑わないだろう。
国家体制批判を許さず、自由な発言や行動を許さず、国家元首の思いのままに政治が動かされていく体制は、多くの国民の意思に反しているため強権的になる。民主化や自由を叫ぼうものなら強制収容所送りにされる国家は、恐怖によって国民を支配する。イエスマンばかり集めている国家元首は誰も信じられなくなっていく。