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玉砕するまで戦う

「生きて虜囚の辱めを受けず」は、1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した訓令で戦陣訓として有名。捕虜になるより死を選べという戦陣訓は兵士だけでなく民間人にも適用され、多くの民間人が強制され仕方なく自決している。戦陣訓は、いったん戦争になれば全国民が死に絶えるまで戦うという姿勢を表している。

 

戦争を始めるのも終わらせるのも民間人ではなく政治家。民間人はその時のムードや情報に左右され戦争やむなしと思うようになるが、政治家はそうしたムードに流されることなく戦争回避に全力を尽くすのが仕事。しかし、現実には政治家主導で戦争にまい進している。こうしたことが延々歴史の中で繰り返されている。

 

政治家は自国防衛のためには軍備は必要だと説くが、同じことを仮想敵国(隣国)も説くので軍備拡大競争が始まる。軍人は自国防衛だと張り切っているので政治家の指示があればいつでも相手国を攻める用意ができている。無人島を自国領土だと言い張ってお互いに煽れば国民はやっつけろというムードになる。

 

隣国とのお付き合いほど難しいものはなく、ついついやっつけろムードになり、戦争やむなしと思うようになれば、お互いにせん滅するまで戦うようになる。原爆も水爆も必要だし、ミサイルも…ありとあらゆる殺りく兵器が必要になり、国家財政など破綻しようが全国民が死に絶えるまで殺しあう。

 

無人島の領土問題などどちらかに属すると決めなければならないものなのか?どちらにも属さない中間地点として決めることもできる。そこでは政治体制に左右されない開発が行われ、関税フリーの観光地として人気を博するかもしれない。大昔の書籍を持ち出して自国領土だと主張するのは、あのときあんたはああ言ったと喧嘩するのと同じ。

 

かつて日本は欧米列強に追い付けとばかりに植民地政策を実行し、その土地の人々の反感を買ってしまった。アジアで唯一の先進国になった日本がアジアのリーダーとなって豊かなアジアを創るのだという理想を掲げていたが、それは上から目線となり傲慢と偏見に満ちた態度はことごとく打ち砕かれた。

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