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国家でなければならないこともない

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人々が集まって暮らすようになると、統率力のある人に皆が従うようになる。統率力のある人は、皆の幸せを願って、仕事を分け与え、食べ物を分配し、誰もが平等に暮らせるように努力する。こうして部族が構成される。中東では、今でもこうした部族中心の暮らしをしているらしい。

 

人口増加、災害などで、食べ物が不足するようになると、こうした部族間で食料を奪い合う争いが起こる。戦いに勝利した部族は、相手の食料を奪って負けた部族の人たちを奴隷として利用するようになる。更に、他の部族を戦って、徐々に大きな部族が構成されるようになる。

 

地方の豪族に成長するようになると、身分制度が形作られ、戦うことを専門にする役職が構成されていく。こうした豪族同士の戦いに勝った者が、他の豪族を従えて国家を作り上げていく。所属する部族や国家の構成員となった者は、組織に従うことを求められる。

 

部族や国家は、利益集団なので何か事が起こると、話し合いで決着しない場合、戦いによってより利益を得ようとする。自分たちの所属する部族や国家の利益になるから戦いましょうと呼びかける。人類は、どこかの部族や国家に属さなければならないこともない。

 

国家間の争い事は、権力闘争の渦中にある政治家同士が煽っているように思うこともよくある。あえて強い口調で相手国を非難することで、自国民の支持を得ようとする。互いにそうしたことをやっていれば、いつかは戦争になるが、それでも権力を手にするためならやめようとしない。

 

県境でもめても戦争にならないのに、国境ではもめると戦争も辞さないし、戦争になっても違法ではない。県境でのもめごとで殺人が起こると犯罪として扱われるのに、国境のもめごとで大量殺人が起こると英雄として扱われる。チョッと理不尽だと思うのは僕だけだろうか。

 

新国家建設を夢見た脱藩浪士のように、部族や国家から脱した人々が、世界統一を目指すようになるかもしれない。そこには、人種や宗教の違い、言語や世代の違いを乗り越えた愛情と平和に満ちた世界を目指すのかもしれない。それを可能にするのはインターネットだろう。

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