神様・仏様は人類だけの特権
人は生老病死や災害など、不可思議なことや不可避なことが起こると、何かしら人知を超えた力が働いているのではないかと考えるそうだ。そうした人知を超えた力があるだろうと考えて、解釈する能力は7歳ぐらいから身に付くそう。それまでは、他の動物と同じく、本能的に動くだけ。
死んだ仲間に手を合わせて拝んでいるチンパンジーを観たことはないし、災害にあったわが身を嘆いて神様に助けを求めている人類以外の動物を観たこともない。何かを創造したり、解釈したり、新しいモノを組み立ててたり、知識とスキルを伝達したりということも人類の特色の一つ。
人類にとってどうしようもないことへの救いとなるのが神や仏だとすれば、それは人類にとって非常に都合の良いモノを頭脳が編み出し、生きる夢と希望を与えている。病気を治してくれる、幸運を呼び込んでくれる…望んでいることへの希望をつなぐ存在として神や仏が人類には必要なのかもしれない。
天を仰いでも宇宙をくまなく探しても神や仏に出会わないのは、神や仏が頭脳で形創られたものだからで、神や仏は人々の頭脳にあるから。それぞれの地で、人類は自分たちにとって都合のよい神や仏を信じるようになったが、領地を拡大するにしたがって、その土地の神や仏と衝突するようになった。
お互いの神や仏を否定した行為は、相手に受け入れられることはない。ましてや信じる神や仏の違いから職業や結婚の自由までも奪われるとなれば、虐げられた人々は反旗を翻してもおかしくはない。それは宗教戦争というよりも、差別に対する闘争だと理解する方がわかりやすい。