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国防のための戦争

IMG_8871世に多くの戦争がありますが、近代の戦争のほとんどは侵略行為であっても国防のためという大義名分で行っています。自国の防衛のために、どうして他国に攻め入らねばならないのか理解に苦しみますが、為政者は国民感情をうまく誘導してそうしなければならないと思わせています。

 

どの国の為政者もどうにも横暴で、自国の支持が危うくなると隣国が横暴だとキャンペーンを展開して、自分たちの支持基盤を盤石なものにしようとします。そのキャンペーンが戦争に発展しようとも自分たちの政治生命を守ろうとします。戦争によって変わるのは為政者であり民衆ではありません。

 

かつて、多くの戦争がありましたが、政治権力者が交代するだけで、その土地で暮らす民衆は変わりありません。いつの時代も為政者は自分たちが戦場の最前線に立つことなく、家族は皆殺しになると洗脳され、お国のために命を捧げよと教育された民衆をその矢面に立たせます。

 

国家とは何かと定義すれば、それは為政者が統治するエリアということになる。しかし、民衆は国家という縄張りを乗り越えて誰とでも親しくなり、法に従って平和的に交流し、仕事や学問や生活を共に行う。民衆の暴力は法によって裁かれるのに、為政者が暴力的になり戦争を行うことを取り締まる法はない。

 

戦争とは、為政者と為政者の縄張り争いでしかなく、為政者は自分の縄張りを守るために命を捧げることを最高の行為だと教える。そのため、自爆行為は讃嘆され、軍神と称えられるが、為政者が率先して自爆することはない。大切なことは、為政者はその交戦権を放棄してあくまでも対話でもって解決することを義務とするべき。

 

国ごとに軍を保有するのではなく、地球はひとつの軍で統治し、暴力的な為政者がいれば、それを法によって治めることがひつようではなかろうか。自分の考えを押し通すために暴力的になる為政者を許してはならない。次世代の若者は、21世紀まで、国同士が争う戦争という行為があったと歴史で習うだけになってほしい。

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