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貧乏暮らしには悲しみがいっぱい

僕の両親は父が20歳、母は18歳のときに僕を出産している。父親は母に子供を下ろしてくれと頼んでいたらしく結婚生活は最初から口論が絶えない。父親は稼いだお金で外食ばかりで家には生活費を入れなかった。母は、幼い僕を育てるので働きに出ることができなかった。

離婚して欲しかった父親は母には辛く当たっていた。母の実家は破産して祖母は死に、祖父も肝臓を悪くして入院生活だったため、仕送りを期待できなかった。僕と母は、軍手の内職をして生活費を稼ぎ、僕は小学4年生からアルバイトをして生活費の足しにしていた。

それでも生活は苦しく、親戚を頼って少しでも生活費の足しにしたいとお金の無心をしていたが二度三度となると断られる。米びつにコメがなく、野菜も買えない台所で母はよく泣いていた。僕は、その姿を見るのが辛く、早く大人になって働こうと思っていた。

僕の洋服はつぎはぎだらけ、道に捨てられたみかんや畑に捨てられた野菜など拾っては何とか食いつないでいた。辛い生活に耐えかねて死のうと母親は何度か思ったが、線路に飛び込もうとした母に、「死にたいなら勝手に死ね」と僕が言って突き放してからは、そうした話はしなくなった。

遊び道具も買えないし、学用品も買えない、給食が始まってからは友達の食べ残しをもらって飢えをしのいでいた。貧乏は惨めで苦しくて逃げ場がない。お金がないということはこんなにも惨めなのかと幼心に思った。母親も父方の親せきから苛めにあって悔しい思いをしていた。

毎晩のように酔って帰ってきては暴力をふるう父を憎み、殺意さえあった。家庭は崩壊していた。僕にも母にも頼るべき人はいなかった。小学高学年になり、母もやっと農協(JA)に就職が決まり、僕のバイトも安定して、やっと生活は安定したが、それまでは地獄のような日々だった。

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