昭和は遠くになりにけり
昭和20年代、和歌山駅に行くと、戦争傷病兵の方が痛々しいお姿で募金を集めていた。まだ、戦争の爪痕は残っていたが朝鮮戦争の特需で日本は豊かになっていく。市電に乗って商店街に行けば、買い物客でごった返していた。
昭和40年代、団塊世代の子供たちが親世代に反抗して髪の毛を伸ばし、ギターを持って戦争反対の歌を歌っていた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機から始まり、カラーテレビ、テープレコーダー、車など皆が豊かになっていくのを実感できた時代だった。
人口爆発と共に住宅不足が問題化して田んぼや畑を買い上げて宅地開発が進み、乱開発のために道路は至る所で分断される2件間口の戸建てが飛ぶように売れていった。4階以上の公団は憧れの住まいで、抽選会はどこも大人気だった。
システムキッチンが主婦の憧れになり、大人になった団塊世代の若者がこぞって水洗便所など最新の設備を導入していった。土地は必ず値上がりし、土地さえ持っていれば投資としてとても魅力的な時代だった。
ご主人の給与で充分、家族を養える収入があり、家長制度があり、女性は生涯に家無しという価値観が生きていた。女性が仕事をするのは男性の補助でしかなかった。同棲するなどとても考えられない時代。
親の許しなく結婚すらできない。結婚式は親しい人が集まり、男たちは1日中祝杯を挙げ、周辺地区の主婦は男たちのための炊事に忙しかった。結納などの儀式は厳格で、仲人は会社の上司がなることが多かった。
暴力がしつけであり、親、先生、監督、先輩などビンタやげんこつは当たり前。新人研修は合宿で数日泊まり込み、早朝マラソンから始まり、大声で叫ぶ練習など軍隊式、訓練最終日はお酒をがぶ飲みして終わる。
嗚呼、素晴らしき昭和の時代と懐かしむ人もいれば、もうたくさんだと思う人もいる。令和の時代に生きている若者にはとても理解できない常識がまかり通っていた。