争うよりも認め合う
人々が交流するようになると、その土地の慣習や宗教があり、戸惑うことも多い。自分は、あくまでもこの土地の者ではないと、自分の慣習や宗教を押し通したり、相手の慣習や宗教を否定したりすると争いの種になる。争いが起こると、勝利した者の慣習や宗教を押しつけて、これまでの慣習や宗教を捨て去ることを強要しがち。
文化的な交流、経済的な交流などはお互いの慣習や宗教を認め合うことで成り立っている。人々が活発に交流するようになり、一緒に暮らしたり、仕事をしたり、遊んだり、学んだりするようになると、お互いの慣習や宗教を認め合えるようになるが、知らなければ相手を否定的に教えられてしまうこともありうる。
特に、その土地で暮らす人々の先祖のお墓もあり、集会の場でもあり、問題解決の場でもある宗教の違いはお互いに一歩も譲れない立場にある。どちらの神が正しいのかではなく、どちらの神も正しいのだと認め合えなければ証明のしようがないだけに厄介。異教徒はこの国に入るなと言えば争いは避けられないだろう。
日本は、神道の国だったが、飛鳥時代、文化交流で最先端の技術や知識を教えてくれる大陸の人々が仏教を信じていることから、これを認め受け入れてきた。戦後時代は、鉄砲や地理など大陸文化を教えてくれる宣教師がキリストを信じていることから、これを認め受け入れてきた。それによって日本は最先端の技術や知識を習得して発展してきた。
日本に入ってきた仏教は、独自に日本の神道と融合している。日本の神様が仏教の仏様の列にあったり、仏教の神様が神社で祭られていたり、もともと、日本人の神様は自然であったり人であったりしているので融合しやすかったのだろう。仏教の開祖 釈迦が観れば信じがたい光景だろうが、日本人は臨機応変に仏教を日本に合うように変えていく。