墓参り
お盆になると都会から郷里に帰り、先祖のお墓参りをする。代々のお墓があるので、郷里には親戚がいなくなっても子供たちを連れてやってくる方がいる。彼らは、少し離れた親戚に泊まるよりも、近くの旅館やホテルに宿泊して、お墓参りをしている。
都会育ちの子供たちに、自分が育った田舎を紹介しながら町を歩いている。昔、川遊びをした河川は、今は汚れて誰も川遊びなどしていない。かろうじて、昔、遊んだ砂浜は埋め立てられているので、少し離れた砂浜に連れて行く。
子供たちが大人になり、親が死んだとき、子供たちの郷里は都会であり、亡くなった先祖の墓があるだけで、何の幼いころの思い出もない田舎にお墓参りだけしに来ることになる。その彼らが死んだとき、彼らが都会にお墓を作れば、田舎の墓は誰も参らなくなる。
あるいは、親が改宗して、それまでの墓ではなく、まったく行ったこともない墓苑に墓を持つようになると、子供たちは何の思い出もない土地に出向いて、墓参りだけしなければならなくなる。そんなことが現実になってきている。
僕の場合も、先祖の墓は近くにあるが、それは父の長男の血筋が受け継ぎ、次男である父親は和歌山ではなく兵庫にお墓を買ってほしいと頼まれた。その墓は、僕の妹が納骨されているが、母親の希望で亡くなった父親はまだ納骨していない。
母親が亡くなったときに、父と一緒に納骨して欲しいという。この場所から車で3時間以上かかる墓苑に毎年参ることは、なかなか難しくなると思っている。僕自身、亡くなれば墓ではなく、いつも行く浜辺に散骨して欲しいと言っている。
こうすれば、お墓参りしなくても済むし、海を観れば僕のことを思い出すかもしれない。人が移動して暮らすようになり、宗教の自由が認められて改宗する人が出てくるようになると、お墓の存在も変化し、墓参りの仕方も変わってくる。