苛められたからこそ優しさが身につく
苛められた経験があるといつまでも忘れることがない。学生時代、大人時代、それぞれの時代で苛めがある。その苛めにあったとき、こうした苛めをすればどんなにか相手が傷つくのかがわかるので、絶対にこうした行為はしないでおこうと思えるようになる。
体育会系の人は、入部したばかりのときに苛められたので、後輩が入ってくると、ここぞとばかりに苛めという伝統を発揮する。昭和の会社でもこうした傾向はあった。僕は、こうした苛めの伝統が嫌いで絶対やらないようにしている。
体力がある人はない人をバカにして肩に手を回して苛める。成績の良い人は悪い人をバカにしたような目つきで観ている。会社の上司は嫌いな部下に難癖をつけては苛めている。お酒もタバコもしない僕は付き合いが悪く、会社から協調性がないと言われる。
企業経営者になり、そこそこの成功を収めるようになり、講演会に呼ばれたり、尊敬されたりするようになる。しかし、当時の思い出があるので、僕は真っ先に駐車場や誘導路の案内係に丁寧に感謝してから会場に入るようにしている。
懇親会でも、自分が食べるのではなく相手が先に食べるように話してあげる。飲み物が足りないと思えば、聞くようにしている。少しばかりの心使いが相手に伝わるのを感じる。もしも、苛めにあわなければこうした配慮はできなかっただろうと思う。
弱者は弱者の痛みを知っている。それこそが弱者の強みであり、そこに知力や仕事力がつけば大人になってから少しずつ成長していけるものだ。悔しい思い、悲しい出来事、それこそが自身の成長の原動力になっている。
最初から体力があり成績優秀で褒められてばかりの人には真似ができない。こうした人は他人と比べて自分の優位性を誇示しようとするので、年齢を重ねるにしたがい嫌われていく。73歳にして、そのことを知った。


