暴力を正当化すべきではない
僕の父は、毎日のように母に暴力をふるっていた。幼い僕はそんな父を観て憎むようになり、父から暴力を受けるようになる。暴力をふるう父には、暴力に対する反省はなく、少しでも機嫌を損ねると暴力に訴えることを恥とも何とも思わない。暴力はふるう方に麻痺を、ふるわれる方に消え去ることのない憎しみを植え付ける。
暴力を受けた体験は、僕に暴力に対する憎悪を植え付けたが、中学生の時に一度だけ弱い者に暴力をふるう自分がいて、羞恥心からその場を離れた。自分がいちばん憎んでいた暴力を自分自身が振るっていることに悩み続けていた。30歳を過ぎてから、父を憎んでいる憎しみがその原因だと悟り、父を許し、父がいたからこそ自分は強くなれたと感謝することにした。
人は誰かを従順にさせるために暴力を利用するが、如何なる理由があっても正当化できるものではない。僕は暴力を憎んでいるし、他者を従わせるために暴力をふるわない。暴力と反対にある、平和は相手を受け入れる寛容と慈しむ愛情がなければならない。そのための体力はトレーニングによって、ハートは意識することによって精神的な強さを持たなければならない。
地球生命は、過去に何度も絶滅の危機に面しているが、そのたびに生命は大成長している。危機こそが生命成長のきっかけになっている事実は、人の成長もまた、危機を経験することによって成長することを示唆している。人類の歴史は暴力の歴史でもあるが、いつか必ず暴力を乗り越える寛容と愛情の平和がもたらされると信じている。