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苛めはしつけ

 

ハラスメントはやっている本人にその認識がない。自分は誰かを苛めていると思っている意識がない。それは他人が決めることで、自分はやっていないと主張することがほとんど。それが自殺に追いやっていても自分は潔白だと主張して揺るがない。

 

自分もそうして頑張ってきた。自分はそうされて今がある。だから、他人に対してもそうした態度で接しているだけだと思っている。ちょうど、部活の苛めのように、新入生を年長が苛めるが、新入生が年長になれば苛めをするようなもの。

 

親から苛めを受けた子供は、大人になって親と同じように子供に苛めをするようなもの。気が付かないでいることが多い。僕の父親は暴力的で強権的だったので、その生活が長く続くとそれが常識になってしまう。気が付かないうちに弱い者を苛めるようになる。

 

それに気が付いたのは中学2年生の時、それは自分が父から受けた虐待そのものだと愕然とした。それ以来、誰かを苛めることはできる限り避けるようにした。それでも、父親から受けた暴力や暴言を使いたくなることがある。抑えるには、かなり我慢しなければならない。

 

苛めは気が付かなければ連鎖する。先生が生徒に暴力や暴言で押さえつけようとする。親が子供を暴力や暴言で押さえつけようとする。上司が部下を暴力や暴言で押さえつけようとする。暴力や暴言を受けたからといってやってイイものではない。

 

しつけや指導だと思い込んでいる人は、過去に何らかのそうした経験をし、それで嫌な思いをしたので自然と誰かにそうした思いをさせようと行動してしまう。まるで憎しみの連鎖のように拡散されてしまう。そのことを知って慎むべきだろう。

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