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信心もほどほどに

信心にのめり込んで、修行が楽しくて仕事や家事をほったらかしにしてしまう人がいる。そのために、思わぬ悲劇が起こってしまう。夜の食事は一家団欒で頂きたいものだが、両親がいつも信心の集会に出かけてしまうので、子供は一人で食事をしなければならない。孤独な思いを抱いて成長するので、両親に反抗的になり、両親が信じている宗教は嫌ってしまう。

 

ご主人が信心にのめり込んで、仕事を辞めて巡礼や修行僧になると言いだしてきかない。妻や子供がどんなに止めても、自分はダメ人間だから修業しないといけないと言ってきかない。家族を捨てて仏門に入り、修行の日々に没頭する。残された家族はバラバラになり、奥様は離婚を決意し、子供たちは家に帰らなくなる。

 

奥様が信心にのめり込んで、毎夜、夜の食事を家族一緒に頂くことなく信心の集会に出かけていく。夜遅く帰ってきても信者の方と電話ばかりしている。ご主人は、奥様から距離を置くようになるし、子供たちはお母さんを嫌うようになる。朝から、信者同士の電話をするので、落ち着いて朝食を頂くこともできない。ついに、子供が切れて家を出ていく。

 

教祖様の書籍を大量に購入することで功徳があると信じている信者、より多く寄付することで功徳が増すと信じている信者、一家団欒の時間を割いて宗教活動するほどに功徳があると信じている信者、高額な仏壇を購入すれば功徳が増すと信じている信者は、家族のためのなけなしの資金を使って家族のヒンシュクを買う。何事もほどほどにしておかないと大切なものを失くす。

 

神様や仏様は、信者とその家族が幸せに暮らすことをいちばんに願っているはずなのに、信者に金銭を要求したり、夜の食事もとれないほど活動を強要したり、他宗教の信者を排斥しようと煽り立てたり、他宗教の信者を殺害する自爆を要請したり・・・そんな神様や仏様は信じる価値があるのだろうかと思いたくなるが、信じている人は素直に実行している。

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