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自殺も人の生き方

 

僕の父親は5度の癌手術のあと、6回目の癌手術はお断りして自然死を選んだ。身体がボロボロになり、これ以上生きるに堪えられないと話していた。僕の友人で経営者では、3人が自殺している。経営者でない方は2人が自殺している。5人共に身体はいたって健康だがストレスに耐えきれず心を病んでしまった。

 

自殺した友人の時は、本当に辛く、自分を責めていた時もあった。もっと傍にいれば自殺しなかったのではないか?還暦を過ぎたころから、自分を責めるのではなく、人は身体を病んでしまい回復の見込みがないとき死を選ぶように、心を病んで回復の見込みがないとき死を選ぶのかもしれないと思うようになった。

 

父親が肉体の限界を感じて、これ以上生きていても人間らしい生き方ができないと判断したように、心の限界を感じて、これ以上生きていても人間らしい生き方ができないと判断してもおかしくはない。自殺した彼らは、自分らしく生きるために死を選んだのかもしれないと思うようになった。

 

自分は死にたくないので、死ぬことへの恐怖もあり、友人の自殺を否定的に捉えて自分がもっと何かできなかったのかと悔やんでいるが、それは僕の思い過ごしで、本当は自殺した彼らは自殺によって、自分らしく生きる苦しみから解放されホッとしたのかもしれない。彼らは立派に生ききったのだと思えるようになった。

 

自殺した友達は、立派に生きたが死ぬときは残念だったのではなく、死ぬときも立派だったのだと思うようになった。人の人生を他人が評価できるものではなく、自殺したから死に方を否定するのではなく、彼らにとってはそれがもっとも自分らしい生き方だったのだと思うようになった。そう思えば、自分の気も楽になった。

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