誰だって我慢して生きている
嫌なことがあると友達に聞いてもらい癒してもらうようにしないと心を病んでふさぎ込んでしまうと多くの方のアドバイスがある。嫌なことがあると確かに聞いてもらえば少しはホッとしてしまう。自分のこと、自分の言い訳、自分の立場をわかってもらえる喜びに笑顔を取り戻す方は多い。
嫌なことがあるとそれこそ詳細に何時間もかけて話してくださる。聞いているが、僕には関係のないことだし、よくわからないし、会ったこともないない人がその方を苦しめているっていわれても理解できない。僕にだってやりたいことがあるのに我慢して聞いてあげるだけに疲れてしまう。
僕は嫌なことがあっても当事者以外には話さないようにしている。当事者ではない方にどんなに詳しく話を聞いてもらっても、その方も何かしら我慢していることがあり、本当は誰かに聞いてもらいたいのに、我慢して僕の話を聞いてうなずいてくださっているなら迷惑なことだと思ってしまう。
街往く人の多くは誰しも悩みや苦しみを抱えて生きている。ただ黙って通りを歩いているし、ホームでもジッと電車が来るのを待っているが、本当は悲しくてやりきれなくて苦しくて辛くて涙がこぼれそうなのかもしれない。そんな人のことも考えないで自分の悩みを打ち明けるわけにはいかないと思ってしまう。
早朝、雑踏の中でただ黙って歩いている人を観ると偉いなあと思うのは僕だけなのだろうか?商店街のおばちゃんが笑顔で声をかけているのを観ると偉いなあと思うのは僕だけなのだろうか?ギュウギュウ詰めの電車の中で黙ってゆられているサラリーマンを観ると偉いなあと思うのは僕だけなのだろうか?
僕は社長をしているので笑顔で挨拶してくださる社員の皆さんを観ると偉いなあと思うのは僕だけなのだろうか?本当は、仕事で辛いことがいっぱいあるのに、聞いて欲しいことがいっぱいあるのに黙って笑顔で挨拶してくださる社員の方がよほど偉いと思うのは僕だけなのだろうか?