窮地に立たされた時、その人の価値がわかる
「鉄は熱いうちに打て」と云われるのは、熱いうちなら鉄は柔らかく柔軟性に富んでいるため。精神が柔軟で、吸収する力のあるうちに鍛えるべきというたとえだが、もっとも何でもやってみようと思える時は、窮地に立たされたとき。「溺れる者は藁をも掴む」その必死さが自分を鍛えてくれる。
人は順風満帆のときは変わろうと思わないし、変わる必要もない。すべてが順調なら、そのままでよいと思えるし、自分が他人に教えることがあっても、他人から教えてもらうものはないほど高揚とした気分でいられる。そのため、吸収力や理解力は落ちている。ドン底まで、落ちてこそ自分を見つめることができる。
腐ってしまい、反抗的になり、ヤル気を失くして、自分の殻にこもってしまうのはまだ、余力があるからで、そうしたことすらできない状況におちいると、その人の本領発揮で俄然ヤル気になって驚くほど成長してくる猛者もいれば、自分が置かれた状況に耐えきれずにみずから命を絶ってしまう者もいる。
僕は自分が窮地に立たされると、それが自分に与えられた試練であり、自分だけが乗り越えられる試練だと思うようにしている。高い金銭を支払う試練もあれば、罵倒され暴力を振るわれる試練もあるし、いわれなき非難中傷に晒される試練もある。如何なる試練にも笑顔で乗り越えてきたからこそ今の自分がいる。