弱きは嘆き、強きは策を練る
僕は幼い頃、母親から家は貧乏だからお前には何の財産も残してやれないが、出世する方法を教えてあげると言われた。敗戦直後、中年になった祖父は、戦争で焼け野原になった市街を観て、嘆いている人が多かったが、これから平和な時代になるのなら家や道路が欲しいだろう。ならば、私は土木・建築の勉強をして素晴らしい都市を造ろう。祖父はそう決意して工務店を開き、戦後復興に貢献していった。
悲劇的な出来事も考えひとつで、その人に使命が加わり、強く逞しく生きようとする。多くの人が死に、嘆き悲しむ時代、戦争で死ぬことが美徳とされていたのに、それが無駄死にだと思わせるような出来事が起こる時代、価値観がどう変わろうとも、人はその時々で生きて行かねばならない。強く逞しく生きるには、悲観的な状況であっても、それを打開する考えをみずから発見して使命を自覚しなければなりません。
多くの人が嘆いている状況であっても、人々に夢と希望を与えられる人であろうと努力なさい。そのために学問をし、見識を広め、多くの人々に会い、如何なる逆境であっても、決してくじけず、笑顔で明日はよくなるからと言い切れる人であろうと努力することです。周りの人々を幸せにできる人は、自分も幸せになれる人ですから、決して諦めてはいけません。