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終戦記念日という名の敗戦の日

 

1945年8月15日は、日本がポツダム宣言を受け入れた日。いくつかの国では、戦勝記念日として扱われている。アメリカでは、9月2日になっているし、中華人民共和国では9月3日になっている。日本が降伏文書に調印した1945年9月に戦争は終結したと認識されているからだ。実質の敗戦記念日だが、敗戦を記念するのはおかしいので終戦としたらしい。

 

勇ましく戦った人々やそれを支えた人々が映画やドラマになって毎年上映されるが、そうした人々が生み出された背景や、それによって富を得た人々の映画やドラマはない。愛国心に満ちて死んでいった若者を讃える映画やドラマは多いが、彼らを戦場に送り出す命令を出しておきながら本土で贅沢な暮らしを平然と楽しんでいた人々を描いた映画やドラマはない。

 

アメリカと戦っても負けるとわかっていた人々の情報は新聞やラジオで流されなかった。庶民は、アメリカと戦っても勝てると信じるほどの虚偽の情報しか得られていなかった。その罪を問うマスコミへの映画やドラマはない。死んでいった兵士の手紙には、勇猛果敢な言葉しかないが、検閲されていたので当然。本音は、どうしてこんなところで死ななければならないのかと叫びたかっただろう。

 

庶民を戦地に追いやったマスコミ、政治家、軍令部、大企業の経営者など罪深き人々を描いた映画やドラマはない。終戦記念日は、生真面目で愛国心に溢れ、愛する人を守るために命を惜しまない人々を死に追いやり、嘘つきで金銭欲や妄想に取りつかれ、保身のためなら他人を犠牲にしても平気な人々が生き残って、戦後の日本を創っていく記念日のような気がするのは僕だけなのだろうか。

 

鬼畜米英や一億総玉砕と叫んで、庶民を戦地に追いやってきた人たちは、戦後GHQにこびへつらい、これからは民主主義の時代だと称して、残された日本の財産を食い荒らして私腹を肥やしていった映画やドラマはない。でも現実は、庶民を飢餓に追いやっても、彼らは白米をたらふく食べていた現実がある。そして、戦後50年も過ぎた頃、それを孫たちに自慢している。

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