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艱難辛苦は人生のスパイス

生きていれば、毎日何かしらの出来事がある。そのたびに喜怒哀楽を感じるようになる。事故に合ったら狼狽するが、それは事故という一面、その事故をきっかけに安全運転を心がけるようになればそれは結果オーライということになる。

糖尿病になれば、悲しいが、それもまた一面でしかない。それをきっかけに生活習慣を見直して健康になればこれもまた結果オーライということになる。日常のいろいろな出来事を僕たちは一面で感情的になっているが、別の面から見てみよう。

受験に失敗したから、次からは準備万端、しっかり勉強して備えるようになるかもしれない。仕事でバカにされたから、バカにされないように努力して皆が尊敬する人物になるかもしれない。人は、きっかけがあれば成長もできる。

落ち込んでばかりいて成長はない。自分の殻に閉じこもっていても成長はない。成長するということは、いろいろな艱難辛苦を乗り越えるということ。日替わりメニューの艱難辛苦があるからこそ人は成長し喜びを感じる。

嘆いていることが、実はそれだからこそよかったではないかということも、よくよく考えればありうる。僕は、中学3年生の冬休み、親友から僕は受験勉強があるので、今日で遊びは終わりにしたいと言われてから猛勉強できた。

艱難辛苦を自分の直感的感情に支配されず、客観的に観ること。それが自分の成長につながっていく。幾つになっても試練はやって来る。そのたびに感情的になり自滅する人もいる。生きているなら幸せになりたいもの。冷静さを失くしたらできない。

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