あんな父親のようにはならない
僕の父親は二十歳で親に勘当され、できちゃった婚。母親は18歳という若い夫婦で、下ろせと言っていた父親だったので二人の愛は浅かったと思う。貧乏暮らしで毎日のように喧嘩が絶えず、僕はお隣の家に行って仲裁をお願いしていた。
郵便局員だった父親は家に帰るのが嫌で毎日、スナックや居酒屋でお酒を飲んでは帰ってくる。生活に困っている母親は、少しでも生活費を入れてくださいと父親を責める。別れたいのに僕という子供がいるので嫌々結婚しただけの事だと喧嘩になる。
飲んだくれて暴力的な父親といっしょに暮らしていたので、僕は父親を憎むようになり、あんな父のようには絶対ならないと思っていた。お酒を憎み、ゲロを吐く大人を憎み、みずからをかえりみず講釈を垂れる大人を憎んでいた。
23歳の時に父から腹を切って死ねと言われ、勘当され実家には来るなと言われた。それほど、僕と父の関係は最悪だった。大学を卒業して、社会に出ても自分の思うような会社もなく、働く大人は相変わらず飲んだくれの世界だった。
僕は、そんな世界で働いて自分の生活を立てなければならない。イイ人ばかりでない現実は厳しく、働いても儲けは難しく、恋しても幸せにできることもなく、いつしかあんなに憎んでいた父親よりも自分は劣っていると思うようになった。
憎んでいる父親がどうしてあんなに暴力的になったのか?どうして毎日酔いつぶれるまでお酒を飲んでいたのか?それでも毎朝どうして郵便局に行ったのか?どうして僕に死ねと言ったのか?そう考えるようになった。
父親も必死になって社会で生きてきたし、必死になってもがいていたのだろうと思うようになり、憎しみから尊敬に変わっていった。父親も必死になって幸せを探していたのだろう。それを拒絶していたのは僕かもしれない。
31歳の時、父親に感謝の気持ちを手紙にしたためた。あなたの子供として生まれてきたことに感謝しますと書いた。74歳で死んだ父は、遺書に僕に宛てて「ありがとう」と書いていた。